Uncategorized

V女史

IMG_1569V女史とのメモリー

V女史ことバルは、私がフィジオセラピークリニックでデビューしてまもなく、定期的に施術を受けに来るようになった長期クライアントの一人。セラピー日誌を振り返ると、最後に彼女を施術したのは2016年5月16日。バルはいつものように2週間後の月曜日に予約をしてクリニックを後にしたが、この日がバルを施術した最後の日になった。享年84。

バルは、30代前半で有名私立女子高の校長に抜擢され、長年にわたり教育に携わり、50代で引退した後、中国の大学で英語文学と英語教育を教えるために現地にわたった。天安門事件の惨劇を目の当たりにもしている。施術を受ける間、バルは校長時代の出来事や、中国での出来事を、こちらがまるで映写機で見せてもらっているように錯覚するほどの鮮明な記憶と、見事な描写で話して聞かせてくれた。時には、日本でいういわゆる唱歌的な歌を交え、時にはクラシック音楽の主題の部分を声高々にハミングし、クリスマスの時期には一緒に「きよしこの夜」を歌ったりもした。施術中に一緒に歌えるクライアントさんは、今のところ、バルのほかにはまだ出会っていない。

施術始めから30分は、いつもそんな塩梅で、バルがいろいろな話を私に聞かせてくれたり、中国語を教えてくれたり、私の英語の発音を直してくれたり、時には現在の政治経済についての議論をしあったりと、にぎやかに時間が過ぎる。後半、足の施術に入るころ、彼女はすーっと静かになり、深い眠りの中で自身の肉体と客観的に出会い、施術が終わると、必ず感謝の辞を述べ、凛とした強さを持つ人独特の礼儀正しさと優しさにあふれた笑顔でハグし、月曜日のこの時間がいかに楽しみであるかを毎回念を押すように言って、次の予約をし、クリニックから車で5分の自宅へと戻っていった。

マッサージセラピストとしての仕事の醍醐味の一つに、セラピールームでだからこそ成立する患者さんとの深い人間的な触れ合いがある。肉体の施術をしながら、実はこちら側は人として、セラピストとして患者さんから無意識の施術を受けていることに気づく。これは教員時代に感じたことに似ている。教員はある意味、子供や生徒から、無言のうちに人としてたくさんのことを教えられる。セラピストと患者の関係も、これに似ている。だからこそ、プロの責任と自負と目標を高く持ち続け、学び続けたいというパッションが不可欠ではないだろうか。

バルは毎年クリスマスには、手書きのカードをくれた。2015年12月、彼女からの最後のカードには、”My darling Noriko. Whatever you want to do, do it”と力強いメッセージが書かれたあった。当初4週間ごとの施術予約だったのが、3週間ごとになり、2015年のある時期から、2週間ごとになった。彼女の歩く様子や、施術中のまどろみの深さ、施術が終わった後の起き上がり方などを観察しながら、私も心のどこかで、何かに気づいていたように思う。

彼女の遺作となった「When Dragons Whisper-Haunted By the Shadow of Tiananmen」を手元に、その膨大な文章量と、高度な英語で、なかなか読み進められないまま2年。きっと、10年後、20年後、本格的に読もうとする時が来るように思う。そして、バルもまた天国で、それで良しと頷いていてくれるような気がする。バルの記憶がそうであったように、私もまた、彼女のことをいつまでも鮮明に覚えていたいと思う。