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Whole-健やかに

From My Hands and Heart by Kate Mackinnon

上記に紹介されているNancy Levinによる詩「Whole」を非公式に訳してみました。
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訳 by Nori

Whole-健やかに

セラピストの手が
私の体が示す筋道をなぞる時、
波動と静寂の
リズムに包まれ
私は私の体の声に耳を傾け
埋もれ、閉ざされた
意味を解く。

その行程は、心の深部で
自分は愛されているということに
気づくこと。
私が何をしようがしまいが
ただいるだけで、愛されると知ること。

信じるにはでも、勇気がいった。
その勇気を、私は私の中に見つけた。

私の体、
宝箱、
細胞に秘めた謎は固く閉ざされ
解き明かされる瞬間を待っていた。

体の中で
愛に飢える思いが頭をもたげる。
細胞記憶は壁をめぐらし、
とりつかれたように居座る。

乾ききった砂漠の中で
つっぱって、力なく骨にまとわる肌が
生き生きと活性し、ハリを得て
みずみずしく再生し、
弾力を取り戻す。

感覚が再び目覚め、ほら
私は息をのみ
やっと、満たされる。

不可思議な力がわいてくる。
両方の足は、駆け出したい衝動なのに
足元は根を張らんと揺るぎなく
私を固定する。

私は拠り所を得て接地し、
直感が導くその手に
助けを求め
そこから得るものを知った。

私の体、
かつての要塞は、
今や開かれ
受け入れんと切に願う。

雪解けはこんなふうに始まる
あまりにも長い間
凍りついたままの時を経て
光と祈りの波が
私を開放する
私の心からのびるその小路を
ついに探り当て、
癒しの道が開ける

そうほぐれるほどに
愛は様々な形で
存在することを知る:
手にしたキャンドルの揺れる炎の中に
平安を願うキスと祈りの中に
山から落ちる滝を縁取る雪の中に。

私の体が解ける、
その境界線を超えて

私の思考は
やっと今
私自身のものに。

私の一部が
かえってくる時、宿る時、
望みだけが感知する
内なる命の
躍動を。

そして今
自分で自分を決めつけていた
あらゆるものが
そぎ落とされた時
まさにその瞬間に
気づく
私はいつだってずっと
Whole-健やかだと。

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Whole – from a book by Kate Mackinnon


From My
Hands and Heart

IMG_1572Achieving Health and Balance with Craniosacral Therapy 

by Kate Mackinnon

 

 

This poem by Nancy Levin was inspired by her experience of craniosacral therapy, and it is reprinted with grateful permission.

 

whole

while her hands navigate
the map my body makes,
it’s the radiating rhythm
of vibration and stillness
that now allows me
to receive what it hides
and translate all it has to tell.

this journey to knowing,
deep in my essence,
that I am loved.
no matter what I do or don’t do,
even if I don’t do anything i will be loved.

but to believe, I needed courage.
i found it in my body.

my body,
a treasure chest,
its cellular secrets under lock and key
until the moment they were ready to be freed.

in the body
love first develops as hunger.
these walls have cellular memory.
there is a haunting here.

tight fitting skin,
barely wrapping bones
in dehydrated desert conditions
are infused with vitality
fleshed out and expanded
nourished and recalibrated
buoyant.

sensation returning and there,
my breath still held,
i felt full for the first time.

my power is very confusing.
and although my legs just want to run
i can feel my feet begin to find their roots,
sourcing safety for my strength.

i found my grounding
and what feeds me
in asking for help
from an intuitive hand.

my body,
once a fortress,
now begs for entry
and re-entry.

the thaw begins like this,
after being frozen in place
for so long,
waves of flame and prayer
release me,
finally locating the passage
from my heart,
revealing the way to healing.

and so in the softening,
i learn that love
present in many forms:
in flames on candles carried
in kisses and wishes of peace
in snow surrounding a mountain waterfall.

my body melts
outside its lines.

my thoughts,
my own
for the first time.

and as pieces of me
return or arrive,
desire alone senses
the rise and fall
of what’s alive
inside.

and now,
stripped of all
i once defined
myself by,
it takes only a moment
to notice
i have always been
whole.

 

 

 

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V女史

IMG_1569V女史とのメモリー

V女史ことバルは、私がフィジオセラピークリニックでデビューしてまもなく、定期的に施術を受けに来るようになった長期クライアントの一人。セラピー日誌を振り返ると、最後に彼女を施術したのは2016年5月16日。バルはいつものように2週間後の月曜日に予約をしてクリニックを後にしたが、この日がバルを施術した最後の日になった。享年84。

バルは、30代前半で有名私立女子高の校長に抜擢され、長年にわたり教育に携わり、50代で引退した後、中国の大学で英語文学と英語教育を教えるために現地にわたった。天安門事件の惨劇を目の当たりにもしている。施術を受ける間、バルは校長時代の出来事や、中国での出来事を、こちらがまるで映写機で見せてもらっているように錯覚するほどの鮮明な記憶と、見事な描写で話して聞かせてくれた。時には、日本でいういわゆる唱歌的な歌を交え、時にはクラシック音楽の主題の部分を声高々にハミングし、クリスマスの時期には一緒に「きよしこの夜」を歌ったりもした。施術中に一緒に歌えるクライアントさんは、今のところ、バルのほかにはまだ出会っていない。

施術始めから30分は、いつもそんな塩梅で、バルがいろいろな話を私に聞かせてくれたり、中国語を教えてくれたり、私の英語の発音を直してくれたり、時には現在の政治経済についての議論をしあったりと、にぎやかに時間が過ぎる。後半、足の施術に入るころ、彼女はすーっと静かになり、深い眠りの中で自身の肉体と客観的に出会い、施術が終わると、必ず感謝の辞を述べ、凛とした強さを持つ人独特の礼儀正しさと優しさにあふれた笑顔でハグし、月曜日のこの時間がいかに楽しみであるかを毎回念を押すように言って、次の予約をし、クリニックから車で5分の自宅へと戻っていった。

マッサージセラピストとしての仕事の醍醐味の一つに、セラピールームでだからこそ成立する患者さんとの深い人間的な触れ合いがある。肉体の施術をしながら、実はこちら側は人として、セラピストとして患者さんから無意識の施術を受けていることに気づく。これは教員時代に感じたことに似ている。教員はある意味、子供や生徒から、無言のうちに人としてたくさんのことを教えられる。セラピストと患者の関係も、これに似ている。だからこそ、プロの責任と自負と目標を高く持ち続け、学び続けたいというパッションが不可欠ではないだろうか。

バルは毎年クリスマスには、手書きのカードをくれた。2015年12月、彼女からの最後のカードには、”My darling Noriko. Whatever you want to do, do it”と力強いメッセージが書かれたあった。当初4週間ごとの施術予約だったのが、3週間ごとになり、2015年のある時期から、2週間ごとになった。彼女の歩く様子や、施術中のまどろみの深さ、施術が終わった後の起き上がり方などを観察しながら、私も心のどこかで、何かに気づいていたように思う。

彼女の遺作となった「When Dragons Whisper-Haunted By the Shadow of Tiananmen」を手元に、その膨大な文章量と、高度な英語で、なかなか読み進められないまま2年。きっと、10年後、20年後、本格的に読もうとする時が来るように思う。そして、バルもまた天国で、それで良しと頷いていてくれるような気がする。バルの記憶がそうであったように、私もまた、彼女のことをいつまでも鮮明に覚えていたいと思う。